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柿時代その3

24時間面白かった。
「ぴあ」を片手に片っ端からいろいろなものを見てまわった。
浅草常磐座の大駱駝艦、ユーロスペースのグリーナウェイ特集、品川倉庫のデビッド・シルビアン展など。
音楽、映画、美術わけへだてなく興味のあるがままに見た。
特に印象的だったのが草月開館のオノ・ヨーコ「踏絵」展。
そして東高現代美術館の「デビッド・リンチ展」。

自分でも見よう見まねで作品を作りはじめたのは自然なことだった。
今で言う中二病みたいなものかもしれないが、間違いなく真剣だった。

そうこうしているうちに大学は冬休みになったのでアルバイトをしようと考えた。
が、せっかく東京にいるのに普通のバイトをしてもつまらないなと思い、当時好きだったアーティストのT氏のところで仕事ができればと考えた。
今ではそんなことはあり得ないのだけれど、当時は個人情報が巷に溢れていた。
青山ブックセンターで売っていたクリエイターズなんとかという本には、掲載された作家たちの住所や連絡先が載っていたのである。
電話番号を控えて家に戻り、電話をしてみた。怖いもの知らずだったと思う。

「そちらでアルバイトをしたいのですが・・・」と初めて話すT氏に伝えた。
「あっそうなんだ。今は募集してないんだけどなー。でも何かあるかもしれないから連絡先を教えて。暇な時に事務所にも遊びに来て作品見せて」と随分と気さくな感じだった。
後から聞いた話しだと「飛び込みで電話してくる学生は滅多にいないから珍しくて興味を持った」とのことである。
何事もやってみることだな。
電話を終えた後は、いきなりのアルバイトは無理か・・・と諦めて寝た。

三日後にT氏から留守電が残っていた。
電話してみると「ちょっと人手が必要だからよかったら来ないか?」と言われたので快諾した。

半蔵門三番町にあるハミルトンプレイスという場所に来い、との指示で何をやるのかさっぱりわからなかったけれど指定の夜8時に集合した。
T氏とは初対面でいきなり現場での仕事である。とても緊張した。

話しを聞くと、サンスターが開発した新素材の皮革を使った展示会のオブジェを作り会場構成するというものだった。
展示会のプロデューサーは名前は言えないけれどナウシカの飛ぶやつを作ったモニョモニョ氏で当時はスキンヘッドにダブルのスーツという出で立ちだった。
テレビの撮影も来ていた。

作業内容は
・この場所で展示会を行う
・作品をこれから作る
・指示に従って製作を補助してほしい
・期限は明日の8時、つまり12時間しかない
ということだった。
僕以外のスタッフも大勢居て誰が誰なのかはさっぱりわからなかった。
どんな作品かもよくわからない。
わからないことだらけだけどとにかくやるしかない。資材がどんどん搬入されてくる。
それを地下スペースまで降ろすのは全て手作業。
26インチのテレビモニターを何台もひとりで運び、重さ200kgの鉄板を4人で運び、、、つまり力仕事である。
次第に腕の力は無くなり、徹夜の作業に眠気もやってきて「これは大変だ」と気づいた時には後の祭りである。
疲れたなんて言えない。自分が好きで来た場所だし、休んでいる人はいなかった。
とにかく時間が無い!

そしてプラモデルのように設計図どおりに作品は作り上げられず、T氏によって何度も確認と変更が行われた。
もう少し右に、これはやり直し、上と下を交換・・・等。果てしない作業に思えた。
これは間に合わないだろーと思いながらも、でもこのプロセスが面白くかった。
何を基準に判断しているのかと興味津々だった。ただの運搬作業ではなかったのだ。

案の定、作業は朝8時までに終わらず、お客さんが来始めるくらいでギリギリ完成した。
僕以外のスタッフはおそらく何日も前から徹夜で準備に取りかかっていたようで、お客さんの居るなか床でバタバタ倒れて眠っていたのがおかしかった。
T氏も動けなくなっていた。

これが初めて経験したプロの現場だった。19歳の冬である。
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by tonpu-2 | 2015-04-16 20:00 | 日常 | Comments(0)

柿時代その2

翌日再び不動産屋に向かう。
案内された部屋は家賃6万円。ワンルームの小さな部屋だったけれど壁がコンクリートでちょっと格好良かった。
生活に何が必要なのかということもあまり深く考えないまま、これ以上探すのも面倒くさいのでここに決めた。
最寄り駅は用賀。
今思えば、もっと郊外で広くて安いところにすればよかったのだが、その時は遠い=交通費がかかるという頭だった。

いったん実家に戻り荷造りをして友達から永いこと借りていた漫画を返したりした。
小さな冷蔵庫やテレビなどの家電を買ってもらい送付先を新住所にすると、いよいよ新しい生活が始まるのだと思い心が躍った。
実家には一秒たりとも居たくはなかったので感傷的なことは一切なかった。

出発当日、祖母から電話がきた。
かいつまんで書くと、、、寂しくて仕方ない、行かないでほしい、早く帰ってきてほしいというようなことを涙ながらに話された。
祖母のことは好きだったので申し訳ない気持ちになったけれど今更希望を聞くわけにはいかない。
その時に全部捨てた。
それまでの19年間など大した時間ではなかったので、自分の人生はこれから始まるのだと思った。

(続く)
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by tonpu-2 | 2015-04-10 20:00 | 日常 | Comments(0)

柿時代その1

この季節になると上京した頃のことを思い出す。
遅い合格発表と桜の花が、それまで曇っていた頭の中を一掃してくれて、少しだけ未来が見えた季節。
1990年のことだから、もう25年も経ってしまった。

右も左もわからないまま急遽上京することになり、とりあえず住むところを決めなくてはいけないということで一人不動産屋をまわった。
付き添いもなく大東京でただ一人。とりあえず住宅情報誌を買って大学近くの駅を中心に探してみることにした。

はじめに行ったのは祐天寺。
駅から歩いて10分ほどの静かな住宅地で、新築のアパートを建てている途中だった。
一階は大家さんで二階の三部屋を貸すとのこと。
明るくて気持ちのよい部屋だったけれどその分家賃が高かった。
隣には東大生が入居するらしく、東大生と暮らすのも嫌だなと思った。

次に見たのは三軒茶屋の古いアパート。
水回りやトイレが汚れていて陽当たりも悪かったのでパス。
街もゴミゴミしていて空気も悪くこんなところには住めないと思った。

物件情報をパラパラと眺めても気に入るところが無くて、あっというまに夕方になってしまった。

別の不動産屋に行くと雑だけど親切そうなオジサンが担当してくれた。
今日中に決めて帰りたいのだけど・・・と相談すると「今日中途半端に見てまわるより明日一日使って集中した方がよい」と言われた。
それはそうなんだけど泊まるところもお金もなくてゴニョゴニョ・・・とうつむいていると「荻窪の駅前に安いサウナがあるからそこで泊まれ」と言われた。
今ひとつサウナに泊まるって意味がわからなかったので、すすめられた別のカプセルホテルへ向かった。

初めて降りた渋谷は異様なほど人が多くて「今日はなんの祭りか?」と思った。祭りじゃあないんだよ。いつもこうなんだよ。ドゥフフフ。

初のカプセルホテルは思いのほか快適で寝転ぶと丁度視線の先に小さなテレビが付いていた。
他の部屋からはAV女優の喘ぎ声がガンガン漏れていて落ち着かなかったな。
それでも一日慣れない部屋探しに疲れていたのですぐに眠ってしまった。

(続く)
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by tonpu-2 | 2015-04-06 20:00 | 日常 | Comments(0)

猫、カレー、ラーメン、たまに旅。


by tonpu-2